軽井沢コヒーレント思考


序章

2003年1月3日、我々が軽井沢に越してきた日だ。
軽井沢は非常に寒い極寒の地でした。
月明かりが照らす深夜、車を運転して軽井沢に辿り着いた。

仲間と一緒に

軽井沢には我が家だけではなく、仲間と会社ごと引っ越した。
我々の業種は今で言うブラックな業界だ。 長時間勤務になる。 それまでは、都会のマンションを借りて夜中まで作業してました。 どうせ長時間作業するなら、景色の良いところで仕事しよう、と皆で話し合って移住を決めました。
その会社にはサーバ機がある。 これを一度止めて、新しい場所でサービスを始めるには、お正月というお休みの期間を利用するしかなかった。
私は運転中だったので見ていない。
今ではかなり慣れましたが、当時は慣れない凍結した道路の運転。 必死に道路を睨みながらハンドルにしがみついて運転してた。 そんな私は全く気づかす、見てもいないが、我々を最初に迎えてくれたのは

真っ白いキツネ だ。

我が家の傍の崖、というか小さな稜線の土留の浅間石の壁の上に月明かりに照らされてキラキラと輝く白いキツネの姿を嫁さんがしっかり見ていた。 白いキツネといってもアルビノじゃない。 そのコーナーを回る間、暫くの間、目と目があったその瞳は、黒く澄み切っていたのを嫁さんが覚えている。 それはあたかも我々を暖かく迎えてくれいるように思えた。

軽井沢にキツネは多い。
今でも、犬の散歩をしていると、遠くから様子を伺っているときがある。
でも白い狐なんか、見たことも聞いたこともない。 夜だったし、雪で白く、もしくはライトの加減で銀狐に見えたのか、それとも幻想だったのかは分からない。
ともあれ、真っ白いキツネが迎えてくれた日から、我々の軽井沢生活が始まった。

全ては必然、奇跡の連続

歳をとったら田舎暮らし、ぼんやりとは考えていた。
今は中東を走っているハズの嫁さんの車。 HONDA の H-RV ですが、これを買う時、もしかすると田舎暮らしをするかも知れないからと、4WDにした。 田舎暮らしとは口にしたものの、なぜこのときそんなことを口にしたんだろう? この時は具体的なプランは全くなかった。なかった。

そもそも、H-RV を買いに行ったわけじゃなくて、初代 Fit の試乗にいった。 そうしたら「こんな遅い車は嫌だ!」と嫁さんが拒否。偶その販売店にもう一台あった試乗車 H-RV に乗ったら、こうなってしまった。
田舎暮らしを大きく後押ししたのは、猫のパンチを飼ったのが効いてる。
飼ってなければ、まだ都会の事務所で夜遅くまで仕事していたと思う。
当時住んでいたマンション、玄関の脇の部屋の1つの窓の下、廊下との間に塀があって、エアコンの室外機を設置している人が多いのですが、スペースが在った。 我が家ではなくて、お隣さんのそのスペースに、野良のお母さん猫が子猫を産んだ。
嫁さんが一匹拾ったのを契機に全部の子は拾われたみたい。
5〜6匹居たと思うが、嫁さんは、一番小さな、真っ黒い子猫を選んできた。
猫キックをする凶暴な奴だったので、名前はパンチとなった。 猫パンチのパンチですが、パンチよりも手で捕まえてのキックの方が得意技だった。 いくら猫キックされても平気なように皮の手袋も買ってきましたが、手袋をした手は嫌いで、生の手の方がよかったみたいです。 おかげで、パンチと遊んでくれたお客さんの手は血だらけ。

人には直ぐに慣れたとういか、 ミルクを腹いっぱい飲んで、パンパンに腫れたお腹を上にして寝ている光景が今でも忘れられない。 ここが自分の居場所だと直ぐに確信したみたいだ。 一機に子供が居なくなった母親は子供を探しに出る。 翌日だか翌々日だか、お隣りなので直ぐに一匹、我が家にいて日向ぼっこをしているのをお母さんは見つけた。 ベランダから網戸越しに我が子を呼んだ。 それに対してパンチは「フーッ」っと怒って、探しにきたお母さんを追い返してしまいました。

どこに行くにも一緒に行った。
会社へも一緒に出勤するし、F1 を観に鈴鹿にも行った。
散歩が大好きで、犬のようにリードをつけて散歩した。
ほぼ毎日散歩した。そうは言っても、企業戦士をしていた時代。 パンチの要求に答えられないこともある。 この猫のパンチが自分で自由に外を散歩できるようにするには、田舎に引っ越すしかないのかなあと考えるようになった。 田舎に引っ越すという選択肢が徐々に、重みを増してきた。

そのマンションに引っ越さなければ、パンチと出逢うこともなく、もしかしたらまだ軽井沢に越してきていないかもしれない。

パンチ

彼は、私にとって特別の猫だ。
子供のときも何匹か買いました。今も2匹しますが、パンチは特別。
彼は、拾われるまでは、自分の人生はこんなハズじゃないと疑問を抱いていた。 拾われた瞬間から、世界が変わった。 「これだよ!」と思ったハズだ。 で、彼は自分を人間だと思っていた。途中までは。
どうしても家に置いておく日ができる。 寂しいだろうと、近くの獣医が勧めるが儘に、後日もう一匹、捨て猫を貰ってきたが、その猫を見た瞬間に自分は人間じゃないことを悟ったみたいだ。 猫だと思ったかどうかは知りませんが、人間じゃないのは理解したみたいだ。 そのショックを受けた様子は未だに忘れられない。 可哀想な事をした。

そのパンチ、軽井沢に越してくる前に、車に轢かれて亡くなりました。
ときどき、逃げ出すことはあった。 そのマンションは大通りから1つ奥まっていて、その辺りは車の通りも少なく安全だった。逃げ出しても暫くすると戻ってくる。 ところが、彼の好奇心は近所だけじゃあ、物足りなかったみたいだ。 大通りを渡ろうとして轢かれた。その場所は大きな血の跡が残っていた。

死後の世界

私は実は死後の世界を信じてる。
というか、信じるようになった。 最近の物理学では、ホントに保存されるのは情報ではないかという話になっている。 エネルギーや質量よりも基本的な存在とみなされるようになりつつある。 こうやって、一生懸命生きてたのも情報だ。 死んだらずべて無くなるのはそもそも腑に落ちない。
その死後の世界がどんなものか想像も付きませんでしたが、幽体離脱を何度も経験したという木内鶴彦氏の話を聞いているうちになんとなく掴めてきた。 彼は、普通の人は共通意識の中に取り込まれて行くという。 はっきり自分が存在する人は死後もその人であり続けることも可能と言った(意訳)。 仮に共通意識の中に取り込まれていたとしても、誰かがその人の事を思い出した瞬間に、す〜っとその人が現れるんだと思う。
死んだら、またパンチと会える。
そう考えたら、死ぬのは怖くなくなった。 パンチと再会するのはむしろ楽しみでさえある。
先に逝った友とも会える。 徐々に向こう側の人数が増えてくると、死ぬのも悪くないなあ、と思うようになってきた。
そうして、そのマンションを無理して買う気になったのは、結婚しようと思ったからだ。
持ち家なんぞ無くても、娘を嫁に出してくれるような家なら、また展開も違っていたハズだ。 もっと都会で安アパートを借り続けていたような気がする。
私にはそういう生活の方が似合っているかも知れない。

そもそも、嫁さんと出逢わなければ、全く違う人生だったと思う。
嫁さんと最初に会ったのは、彼女が19歳の時だ。女子大生。
偶然だが、長くなるのでやめる。

ともあれ、ある一点からそれが将来どう展開していくのか、つながっていくのかを読むのはとても難しいが、ある一点から逆にそこに至った経緯を振り返ると、いつもとてつもないことが起きている。 幾つもの偶然が重なり、偶然なんだが、それらが全て揃わなければそうはならない。 そういう意味では、つまりそうなるにはみな必然だったと言える。 個々はそれほど珍しいことではないとしても、それらが重なって起きるにははあり得ないほどに低い確率だ。 それでも、起きて、繋がって、そうなる。 それを仏教用語では と呼ぶらしい。
それは私だけではなくて、皆さんもそう。

私は縁あって軽井沢に越してきた
それが、次に何を呼び起こすのかは、これから私が何をするかに因る。
嫁さんは見立たず、そっと生きろという。 目立つ目立たないのはともかく、私がこれから軽井沢で行うことは、彼女と出会ったことから始まったことだ。 彼女と出会って、私の人生は大きく変わってきた。

第一章:コヒーレント思考前夜

私の日記に「コヒーレント思考」という言葉が最初にでてくるのは2005年だ。
名前をつけることは大切だ。
それをそれとして、認識するには名前があったほうが断然便利だ。
コヒーレント思考をそれとして意識したこともなかったが、そういう思考形態があることは学生の頃からぼんやり気づいていた。 簡単に「刹那滅」とか「瞑想」とか呼んでいた、ある心持ち、思考形態のことだ。 この心持ちに関しては、コリン・フレッチャーが「遊歩大全」で書いてる。 彼は山歩きをして、この心の状態があることを知った。

この心持ちに入るには、ソロの行動が基本だ。
私は子供の時から山歩きが大好きで、週末はよく友達と山をあるいて探検をしたものだ。 友達との山歩きも楽しいが、どうしても対話する。 話しかけられた瞬間、それまでぼんやりと考えていたことが消えて、思考が対話に集中する。 朝、夢を見ていて、とてもクリアな夢だったのに、起こされた瞬間にそれがどういう内容だったのかを思い出せないのと一緒だ。
ソロの山歩きなら、そのぼんやりとした思考を維持することが可能だ。

一人なら、儚い思いも維持することができる。
維持するといっても、そんなに長い間、同じことを考え続ける訳でもない。 ある思いが浮かぶ。それが別の次の思いへ誘導する。 それは積極的に考えているというよりは、考えているのを傍で他人事のように見ている感じだ。 思いが1つ、浮かび消え、また1つ浮かび消え、この連続だ。 その1つ、1つを、刹那滅と呼ぶ。

アイルトン・セナ

F1 ドライバーのアイルトン・セナが狭いモナコの市街地コースをありえないスピードで駆け抜けていく時、 だれもが必死に運転しているんだろうと想像した。 車載カメラが運転している彼を捉えた。その姿は予想と全く違った。 彼は無表情で運転している自分を静かに見ていた。
その彼は、運転していて2度神を見る事になる。
モナコと最初にチャンピョンになった鈴鹿だ。
そうして、1994年サンマリノ。自分自身も神になった!

なにかを考えようとして考え始める必要もない。
心の振動数を下げて、無の状態に近づける。 すると、心の奥深くから色々な思いが、自然に湧き上がる。
ただそれだけのこと。

なぜその思いが浮かんだのは、直ぐにその脈絡がわかることは少ない。
すっかり忘れていた、何気ないことが思い出されたりもする。 フロイトの夢判断で、その夢には意味があるように、その思いにも、あとから分かれば、意味があることがわかるが、分からなければ分からない。

ところが、友達との会話でもなんでも良いのですが、その静けさを乱す「外乱」 が生じると意識は、それに対応するため脳は即反応モードに切り替わる。 その状態では、その心の細やかな変化を感じ取ることはできない。

修行を行った僧侶は、人為的にこの瞑想状態に入ることができるという。
私はそんな達人じゃない。 それよりも、山歩きもそうですが、何もしていないより、軽作業 をしていた方がよりこの境地に入りやすい。
私はこの境地での思考をコヒーレント思考と呼ぶことにした。
コヒーレント思考のもう少し真面目な定義は、あとでする。定義が必要かどうかはさておき。

薪割り

2005年、このころ必死に行っていたのが薪ストーブの薪の蓄積です。
どうにも軽井沢は寒くて、薪ストーブを買い替えて、これを主暖房にすることに決めた直後だ。
ところが、薪ストーブの薪は、1年に5tとか6tを燃します。 おまけに割ったら直ぐに燃せるわけでもなく(燃せますが)、良い状態で燃すには、2年とか3年とか、乾燥が必要です。 その為には次冬分は仕方ないとしても、さらに翌年の冬、さらにその次の年分と一機に割って貯める必要があった。
10数t割った。延々割った。
今じゃあもう、薪割り、巧いものです。 しかし最初は慣れていなかったので上手く割れず、必死になって斧を振り回して割るんですが、薪割りも、まあ、軽作業だ。 割る瞬間瞬間、力が入ったとしても、息が上がる程でもない。 上がっても直ぐに収まる。私の分類では軽作業だ。

私の住んでいる場所は、軽井沢でも町中ではなくて、山の方。 人通りはそんなに多くない。知っている人は殆ど居ない。 そんな中で、一人黙々と薪割りをする。 その間に、気がつくと色々な思いが浮かび、また消えていく状態に嵌まり込んでいた。 最初は仕事の事とか、悩み事とか、近々のことが多いが、そのうち直ぐには脈絡がわからない思考に陥る。 知らない間に、この心持ち、心の状態が比較的永く継続する状態が起きていた。
軽井沢にきて、そういう心持ちになることが増えたのは間違いない。
都会の喧騒の中で、この状態を維持するのは難しい。 カフェで一人で読書するとか、書物をするとか、不可能ではないんですが、意図してやらないと無理。 軽井沢のように知らない間になることはほとんどない。
作業に慣れたとしても、作業を続けるのに幾ばくかの注意力が必要だ。
そこに意識は費やされるが、意識には余裕がある。 さりとて、他に傾注するほどの何かがあるわけでもない。 この微妙なバランスが、コヒーレント思考に誘いやすい状況と思う。
肉体は作業で使用中。新たに何かを始めるわけにも行かない。 何もすることのない手持ち無沙汰な「意識」は、結局自分を観察することになる。

なにもしない事に耐えられない人たち

ペンとノートは欲しいかな。
これがあれば、一生禁固刑でも耐えられるなあ。 はて、一番長い、禁固刑ってなんだ? と考えた時期がある。
最悪、寝ていれば良い。延々寝る。寝る。寝る。
寝ている間にも色々考えているものだ。寝たい。もっと寝たい。
昔、「この子は起こすまでいつまでの寝ている。良く寝る子だ」と言われたものだ。

ところが、世の中には「なにもしない状態」に耐えられないがいるようだ。

外からの刺激がほとんどなく、自らはなにもすることがない状態。
そうすると、否応なく、その時は「自分の心の中から湧き上がってくる」ものと対峙する事になる。 なぜ、これが耐えられないのだろう?
簡単です。
もし、心から湧き上がってくるものが楽しくないもの。 苦痛とか後悔とか、恐怖とか、不安とか、その手のもの、それも強いものなら、そりゃあ耐えられん。
そういう人は、常に注意を外に向けておく必要がある
どんな人生を過ごしたら、そんな状態になるのか、理屈ではわかっても私には感覚として理解できませんが、普通はそうじゃない。 だれでもやり残したことの1つや2つ、3つ4つはある。 心に引っかかっている事とか、言えなかった言葉、 多少、後悔の念は湧き上がるかも知れませんが、それほど苦しいものばかりじゃない。 そういえば、あのときあいつ、... などと楽しいことが思い浮かぶ方が多い。 それが一巡すると、次、何しようか? と余計楽しいことに考えた向く。
我々を最初に案内した軽井沢の不動産屋さん。 そのときは、まだアーバンさんじゃなかったんですが、この人は東京のその企業に勤めたハズが、軽井沢に配属された。 「なにもないですよ、軽井沢。夜はどこも営業してませんし」ってつまらない町だって事、力説してた。
都会は町を歩くだけでも、刺激が与えられる。 軽井沢はなにもないわけじゃない。 自然に目をやれば、日々新しい発見も出来る。 あちこちで、いろんな人がいろんな事をやっているんですが、自ら動かないと分からない。 軽井沢に越してきて、引きこもりになり、結局都会に戻ってしまう人も多い。
コヒーレント思考が出来る人なら、軽井沢で飽きることはない。

際立つ違い

私がグズでどんくさいことは自他共認める事実。
単純に走るとか、そういう運動はそうでもないのですが、球技とかはまるっきり駄目。 といっても、その日の状態でかなり違う。 野球で打席に立ったとしよう。調子が良いときはよく球を見なくても打てる。 調子がわると全然打てない。ならばと余計に注視して打とうとすると、もっとひどい状況に陥る。 心が沈んでいるときは、素早く反応できない。
出来るわけがない。
人は、突然何かをしようと思っても、実際に体が反応するまでは2秒弱かかる。 瞬時に刻々と変わる外界の状況に合わせて反応するには、予めこういう場合にはこうすると予め決めておく。 決めたのは意識でですが、それを実行するのは後頭部の脳に任せる。 任せたら信じて、その間意識はあまり関与しない。 意識と同時に機能してますが、後頭部の機能自体は無意識だ。
この一連の作業が自然にできる人は、運動神経の良い人だ。
私は悪い。嫁さんは良い!

悪かったんですが、今、延べた過程を理解した。理解して実践することで、60をとおに超えた現在、人生において一番運動神経が良い状態を保っている。 他人との比較じゃなくて、以前の自分との比較ですが。

他方、知識における素早い反応。
こちらは運動とは違って、比較的得意でした。
何かを訊かれたとしよう。 それがどんな難問であっても、一度自分で考えて、結論の出ているものなら、反応は速い。 瞬時に応えることができる。 理由を訊かれれば、斯く斯く然々と遡って説明することが出来る。 その説明に1時間、2時間、それ以上かかるもので、結論は瞬時に答えることが出来る。 よく分かっているものなら、相手の理解度、質問状況に合わせて、どうにでも説明することが出来る。
ところが、こでまで考えてもみなかった事、もしくは、結論の出ていないものなら、そういう訳にはゆかない。 簡単なものなら、その場で考えて答えがでるかも知れませんが、そういうものは少ない。 あるパターンに当てはまるなら、その応用でなんとかなるかも知れませんが、それは少なくとも似たようなパターンでは既に考えたことがある、ってことだ。 そもそも、ホントに分かってないものなら、どういう切り口で切り込んで行けば良いのかさえも分からない。
そこでは、私、自分で、分かってないことを知っている。 正直、手も足もでない状態。どんくさい私に逆戻りだ。
基本的にどんくさいんだな。

ところが、明らかに分かっていないと思われるのに、突き進む人たちが居る。
知っている人からすれば、明らかにピント外れな内容でも、口に出せる人がいる。
で、あーでもない、こーでもないと言いながら、場合によってはその場で回答を得てしまう場合もある。 彼らは、その場で考えることが出来る。 私も、それ、まったくできないわけではないが、私が得意な思考方法とは明らかに違う。 彼らはとにかく反応するんだ。 私はそれをデコヒーレント思考と呼ぶ事にした。

この思考方法の違いは、例えばディベートで際立つ。
すでに自分では結論が出ている内容でなら、日本人もディベート不得手とは限らないが、そうでない場合には、日本人は一般に苦手です。 日本人の思考形態のデフォルトはコヒーレント思考。彼らの思考方法とは違う。 デコヒーレント思考できる彼らはディベートで自らの優秀さをアピールするが、ディベートで何も言えないことをもって、劣っていると見なすのは全く違う。
昔の日本人は、なので、口ではなく、結果で勝負した。 その1つが「物作り日本」のモノだ。 企業内には、企業内マイスターと呼ばれる神業的技術をもった職人が居て、素晴らしいモノを作成し続けてきた。 これは、日本人特有の思考方法の賜物だ。同じ作業をなんども、なんども、なんども続けている間にも、思考は深まり、その技は超人的なものにまで高まる。

注意しておくと、先にフロイトの名前を上げたが、外人がコヒーレント思考できない、ってわけでもない。
日本人でも、先にも述べたようにコヒーレント思考が苦手な人も居る。

ペンローズ

コヒーレントとデコヒーレント、この言葉遣いは、ペンローズから教わった。

軽井沢、深夜はTVがやってない。 衛星放送を工夫して受信できるようにしましたが、夜中だらだら流すような番組はない。 最初は、ニュース番組なんかをかけてましたが、質が悪いし、繰り返し放送なので二巡目以降は無用だ。 そうコンビニも軽井沢では23時に閉まる。 つまり軽井沢の夜中は都会の夜中と違ってずっと静か。 自然と読書する時間が増えた。
そんな中、ペンローズの書物と出遭い、この言葉遣いを知った。
そこで、私はこの思考形態を「コヒーレント思考」と呼ぶことにした。

元は量子力学の言葉だ。
私、恥ずかしながら、これでも理系の出身だ。 高校の時の物理の先生の影響ですが、入学して「しまった!」と思ったが後の祭り。 今から考えれば、それほど悪い選択でもなかったが、入学してからは心理学とか哲学とか人文系の本ばかり読んでいた。 それでも量子力学と相対論、その他幾つかの科目はきっちり「優」を取得して卒業した。
哲学なんか教わるものじゃない。 今、大学に入り直すとしたら、間違いなく数学にすると思う。

光子

光源から放出された光が、感光紙(今なら受光素子か?)にあたって感光する。 光源から放たれて、感光するまでの間の光の状態をコヒーレントと呼びます。 途中にハーフミラーが存在すれば、重ね合わせの状態になります。 感光する場合、結果は1つじゃない。幾つかの可能性があります。 途中にスリットがあれば回析するかも知れない。経路が複数あれば干渉するかも知れませんが、1つ1つの光を観察すると、数ある可能性の1つがそこで顕在化します。 収束する、と以前は呼びましたが、ペンローズ風に言えばデコヒーレントを起こすと表現します。
いつ収束するのか?
観測問題は物理でもややタブーな領域。 みな曖昧にしたまま、正面からは触れずにやり過ごす人が多い。
誤解している人も非常に多い。
どういう条件が揃えば、収束するのか? 途中にスリットを挟む程度じゃ収束しない訳で、どうなればするのか、私はず〜と疑問に思っていた。

答え:「情報を取り出した」瞬間です

情報を取り出せずに観測したとは言わない。
なので収束するのを、観測すると収束する、と屡々表現します。 例えば、その位置を感光紙で計測するなら、 コヒーレントな光が、銀塩の不安定な分子のデコヒーレント圧力に際して、情報を与え銀塩の分子を変化させてしまったなら、そこでデコヒーレンスが起きる。 今なら、受光素子の1セルなのかも知れませんが、全部が全部の光が反応するわけではない。 我が家の犬、白内障がすすんでますが、それでも夜は目が光る。 あれ、網膜の後ろで反射する光だ。 暗いところでも良くみえるよう、少しでも光子を捉える確率をあげようと進化した結果だ。 網膜に届いた光、全部を網膜が補足するならそんな工夫は要らない。 そうでなくて、すり抜ける光がある。 それを反射させて、こんどは網膜の奥から反対方向に網膜を通す。 網膜を2度通すことで、夜、暗い光の中でも視力を上げる工夫だ。 それでも全部は補足できずに目が光る。
どう観測されるか、そうして観測されるかどうかも、量子力学では確率的な話になる。

別に人が見てなくったって、あるコヒーレントな量子が、他の何かに情報を与え、他の何かそれによって動作を変える。 であるなら、その瞬間にデコヒーレントは起きている。 通常、我々が目にし、手にする物質はマクロ的と表現されます。 例えば、酸素分子32gでも、個数にすると約6×10の23乗個存在します。 マクロ的に大きな物質では、ある原子は一人ではいられない。 直ぐ隣の原子に影響を及ぼし、及ぼされることになります。 なのでそうそうコヒーレントな状態を保つことはできない。

なので、月は、誰も見て無くても、そこにある。
人が見ようが見まいが、人類が生まれる前から存在する。
そんな表現をする人は、量子力学をまったく理解してないことを自白しているに等しい。
シュレディンガーの猫は、箱を開けた瞬間ではなくて、人間の代わりにマクロな物質からできた環境が観測し、猫の生死は確定している。 されど、量子が1つだけ、ポツンと存在するなら、それは紛れもなくコヒーレントな状態で存在しうる。 デコヒーレントを起こす必要がないからだ。 してみると、宇宙にはコヒーレントな状態の存在が甚だ大量に存在することが想像できる。 宇宙全体を考えた場合、果たしてどちらの物資の方が多いのだろう。 だれか、真面目に計算した物理学者は居るんだろうか?

いま、例えば60億光年先の光を観測したとする。
その光は、60億年前、宇宙の膨張を考えれば多少補正が必要かも知れませんが、そのくらい前に宇宙に放たれた光だ。 60億光年の間、一度も観測される(デコヒーレントする)ことなくコヒーレントなまま進み?、いま地球で観測されているという理屈になる。 60億年も行方をくらますなんで至難の技。人間社会ならもうとっくに忘れ去られてしまいますが、自然界はいとも簡単にやってのける。

農耕民族 vs 狩猟民族

私が軽井沢で畑を借りられたのは、これよりも後、2010年の事です。
考えてみると、我々日本人の基本は農耕民族。 我々の祖先は、他にだれも来ない、極東の辺境の地で、何世代にも渡って畑を耕してきたわけだ。 畑を耕しながら、雑草を取りながら、収穫作業を行いながら、こうして延々、取り留めのない思考をする時間が続いたハズだ。 ましてや冬には畑作業はない。 雪の多い地方では、家に閉じこもって何某か作業をする。 例えば、北陸地方では、優れた工芸品が伝統としてのこってますが、そうなるにはそういう状況が必要で、そこにはそういう状況があったということがわかる。

これが 狩猟民族 となると様相がガラっと変わる。相手は獣だ。
出くわした瞬間に、先ず「闘う」か「逃げる」かを決める必要がある。
そこでまごまごしていたら、闘うべき得物でも逃げられてしまうし、相手が強ければ殺されてしまう。そういうどんくさい人は、そういう状況では生き延びられない。
片や、日本の農耕民族は、種まきの時期とか、収穫の時期等、時間に追われるものは皆無とは言わないが、瞬時にどうするか判断を迫れる状況は殆ど無い。 狩猟民族は、我々日本人のようにぼーっとして生きていくことは許されなかった民族だ。 そう考えると、何気ない普段の生き方、その様式が我々とは徹底的に違うことがわかる。
その違いが思考形態にまで繁栄されたとしても、何ら不思議ではない。

孤島民族 vs 陸続きの民族

軽井沢では、色々な動物ががでます。
一番怖いと思われているのはクマですが、クマに20回以上遭遇しているのに一度も襲われていない人を知っています。
その彼曰く、遭遇したらまず立ち止まる。 むやみに逃げない。逃げると襲ってくる。 一応そのエリアは自分のものだと思っている訳だ。 邪魔者が二度と入ってこないように、多少痛い思いをさせておこうというのは考えそうな事だ。
目をそらさず「もし来るようなら、こっちも闘うぞ」という覇気は必要だとしても、自分からは闘う意志がないことを示す。そうして、ゆっくりと後ずさる。 そうするとクマもむやみに襲ってこないらしい。
何度か遭って、クマがこちらを認識してくれたなら、そのクマはこちらを気にしなくなるらしい。
実害がなければ、襲う必要もない。
私はクマは見たことがありますが対峙したことはない。
遭遇頻度 × 危険度で、一番実害があると言われているのはイノシシです。
イノシシとは夜中に犬を散歩させていて遭遇した。気がついたときはもう数メートルの距離だ。 真っ黒で岩のように大きなオスだった。 向こうは、前足で土をかいて(漫画でしか見たことのない動作)、いつでも行くぞという体勢だった。
そうはいっても自然の動物はむやみに襲わない。
実際に闘うと勝ったとしても、多少なりとも自分もダメージを負う可能性がある。 仲間や子供を守るため、などの必然性があればともかく、そうでない場合には無闇に闘うことは避ける。 その時も、慌てて逃げたら後ろから襲われたかも知れない。 サブ(犬)はやる気だったですが「今日はそのくらいにしておけ」とゆっっくり後ずさることで、切り抜けられた。
猿は追い払う必要がある。
私が我が家の庭で闘ったのは、オスの離れ猿。 普段は屋根の上とか木の上、距離があるところにいるのでそれほど大きいとは感じませんが、近くでみると中型犬よりもずっと大きく怖いです。 シッシッ、とやったくらいじゃ逃げない。逃げないどころか普段から軽井沢で嫌われているサルは、ムキーッと歯をむいて逆に襲ってくる。 この時も同じ。相手の攻撃はかわしても、背中は向けない。 こちらは東京スポーツの新聞紙を丸めたものしか持っていなかったので、それで実際に打っても痛くもなんともないのですが、相手の攻撃をかわしたら、今度はこちらから襲う振りをする。それが、相手に対してこちらの意志を伝えることになる。 何度か攻防を繰り返したら、猿は諦めて去っていった。
実害があったのは鹿です。
鹿の群れが道を横断していたんですが、私は構わず車を走らせていた。 そうしたら、巨大なオスが仲間の鹿を守ろうと私の車にむかって突進してきた。 思わずハンドルを切って避けようとしたんですが、私のクロカン左前に激突して、ボディが凹んだ。
雄鹿はそのあとどこかへ立ち去っていきましたが、ボディがあれだけ凹んだのをみると彼もそうとう痛かったに違いないが、群れを守るために必死だったのが分かる。 群れに危害は加えるつもりはないよ、というこちらの意志を巧く伝えられなかったのが敗因だ。 可愛そうなことをした。
私が借りている畑も、隣の林にキジが住んでいます。 犬を連れて行くと出てきませんが、私一人で気にせず作業していると、一度は逃げたキジも再度出てきて、近くまで来て餌を探してます。
「さっき、私が植えた種を掘り出して食わないように!」 > キジ

さて、一番凶暴な動物は人間 なのは間違いない。
農耕民族で畑を耕して慎ましく生きていたとしても、大陸であれば、隣の国が攻めてくる可能性もある。
中学校の世界史で習う民族大移動。 民族大移動といっても日本人はあまりピンと来ませんが、移動してきた民族が大人しく移民してくるわけではない。 ましてや善良な旅行者である訳がない。 簡単に言えば、略奪 しに来るわけだ。 仮に大人しい人たちが来たとしても、今みたいに生産力に余裕がある訳でもない。 そう簡単に受け入れられるわけでもなく防衛という名で闘うこことになる。 大陸で地続きの民族は、常に、回りの状況には気を配っておく必要がある。
知らない人を見た時、悠長に反応している余裕はない。
陸続きの民族は、常に隣国からの危険にさらされている。

これが陸続きの民族の実態だ。
そう考えると、辺境の島国日本の方が例外的なのが分かる。 その島国も山が高くて深い日本では、隣町に行くにも難儀する。 こんな生活な何世代にも続けば、そんな我々と大陸の人が、同じスタンスで生きていると想像する方が間違っている。

SVO vs SOV

もう1つ、興味深い違いを挙げておく。

思考は言語に現れる。
私(S)は、あたな(O)を、愛してます(V)の日本語は、SOV だ。動詞が最後にくる。
最後まで聞かないと、何を言いたいのかかが分からない。
私は、あなたを、....
スルーします、なら兎も角、もしかしたら、憎んでいます、とか、生理的に受け付けません、などと繋げられると、辛いものがあります。
これに対して、英語だと I(S) love(V) you(O). と動詞が先にくる。
日本語よりも、もっとずっとスピーディ。
敵が来たら、もっと省いて V が先頭になって、 Run! (逃げろ!) となる。
「皆さん、敵が迫ってますから、逃げましょう」などと悠長なことを言っている間に襲われてしまいます。

SOV は日本語だけではない。
韓国語も SOV なのは有名ですが、他にチベットとかもそう。
古代のイギリス語もそうだったらしい。 分類上はドイツ語もそうで、今でも文末の nicht でその文全体を否定できますが、通常の文章では、V は前に移動して、SVO 形式に見えます。 古代のイギリスもドイツも、嘗ては比較的穏やかな国情だったことが想像できます。

コヒーレント思考誕生

私は軽井沢に越してきて、都会の喧騒から離れ、自然に囲まれ一人薪割りを行い、畑をやることで、明らかに違う2つの思考タイプを確信するようになった。
それまでぼんやりとは認識していた思考方法、心持ちが。 それが何だったのかを、以前よりはずっとリアルに思い描けるようになった。
2つの思考タイプのどこに違いがあるのかもブレること無く見通せるようになった。
一年中、半ズボンになったとか、軽井沢に越してきて色々変化はあった。
それよりもなによりも、私が軽井沢に越してきて変わったのは、この違いを認識できるようになったことだ。
これを巧く表現している言葉が既にあるんじゃないかと探した。
ある文脈、局面で用いることが可能な表現はありますが、それを明確に表現している言葉は見つからない。
そこで、私は、勝手に名前をつけることにした。

コヒーレント思考とデコヒーレント思考だ。
前者をコヒーレント思考と名付けたので、後者は必然的にそういう名前になった。

私は最初、この思考方法の違いは上で述べたような民族の置かれていた生活環境の違いにその原因を求めていた。
それだけでも十分納得できそうですが、ところが、最近はそれだけではないような気がしてきた。
それに関しては、後ほど述べる。

第二章:コヒーレント思考




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