一連の思考パタン、行動様式、こころの断片を「人格」と呼ぶことにします。 この用語はルーマンのそれを真似たもので、「この人は、人客者!」という場合の人格の意味とは違います。 高級な意味はない、単に機能的なつながりを言う。 単に、社会的にそう振る舞うことが都合良いので、そうなっているだけです。 これは、こいう場合にはこう、ああいう場合にはああ、とある意味ネットワークであり、1つのオートポイエーシスです。
例:母親と接する赤ちゃんは、母親との間に1つの人格を築きます。
「顔」と呼ぶ場合もあります。
例: 職場での顔、恋人の前での顔、自宅での顔。
ここで分かるように、誰でも複数の人格を有してます。新し環境、職場、組織、新しく人と知りあいになる、等状況が変わって、それまで有している人格ではうまく対応できない場合には新しい人格が生成される場合があります。 どうしても上手く対応できないものを「トラウマになる」呼びます。
例:PTSD、コンプレックス、DV 体験
同じ体験なら皆、トラウマになるとは限りません。人によってそれぞれです。 トラウマは、場合によっては封印されます(本人も思い出せない)。 さもなくば、心を病みます。 封印されても、心には影響を及ぼします。 普通は複数の人格を有していることを本人は自覚しています。 していない場合は、多重人格となります。 複数の人格が、矛盾なく連続している状態を「統合している」と表現します。 統合失調症の統合からとりました。 矛盾なく連続している状態を維持しようとするのを「統合圧力」と表現します。 多少の矛盾は当人に殆ど影響を及ぼしません。
特に子供はそう。
人格が大きく矛盾すると何某かの障害を発症します。少なくとも、家庭での人格、学校での人格、の2つがあります。 母親と父親の態度が異なれば、家庭での人格は2つになります。 兄弟間での人格、仲間内での人格も仲間毎に普通はあります。 それらが共存しています。 子供の時には平気だった矛盾も体の成長が止まると統合圧力がかるようになります。 人生に於いて、一度、これ以上無闇に人格を取り入れるのを止めて、整理し、統合を試みる時期があります。 日本語では「青春」と呼びます。 統合が上手くいった場合、その統合を乱すものと遭遇しなければ、あとは比較的シンプルに、その人らしい一生をおくることになります。 ここで言う障害とは、統合失調症の人が見せる症状であるとか、うつ病に陥ったりとか、その人を維持できなくなることを指します。 大きく矛盾するような人格を築こうとしても、普通はそれ以前に、上記で述べた様にトラウマの状態に陥り、それに対応した人格を築くことはできません。 大きな矛盾がなくても、社会的、もしくは私生活で行き詰まると、障害を発生する場合があります。 例えば、贅沢三昧できる環境だった人が破産して、精神まで病んでしまうのは珍しくない。 人生に行き詰まっても、統合した人格なら、その人格の基準で、問題に立ち向かうだけだ。 大きく矛盾する人格が存在しても、精神的な障害を起こさない人をサイコパスとここでは呼びます。 ※正式な用語・用法とは無関係です。
他者に冷淡で共感しないとありますが、普段は口が達者で表面的には魅力なので、その場に遭遇しないとそうであることが分かりません。 他者に冷淡で共感しない人格と、口が達者で表面的には魅力な人格も矛盾してますね。 サイコパスは一般的に非常に優れた能力を発揮することが多い。 サイコパスというと、犯罪者のニュアンスがありますが、彼の生き方に依存します。 彼が犯罪を犯そうとするなら、そうなるでしょう。 米国では企業家にその割合が高いようです。 行き詰まっても、サイコパスは障害を発症しない。 良心の呵責も罪悪感もないなら、自分の目的に向かって全力で突き進むことができます。 当然の結果と思います。 他方、人格が1つに、その人らしく、連続に統合された人を「統合者」と呼ぶ事にしましょう。 そうして、統合者ほど人格は統合されてはいない、されど小さな矛盾は多々含む。 普段は普通の市民として生活しているが、追い詰められると発症する場合もある。 そういう人をLPと呼ぼう。 この人達は、明らかにサイコパスとは違う。 良心もあれば、悪いことをした場合には罪悪感も感じる。 この基準で人を分類すると、次のよう成る。
この分類にあまり大きな意味はない。 名前をつけて、そういうものとして定立しておかないと、流れ去ってしまうからだ。 流れ去るものは、再度思考に登らせるためには、また最初から話を始める必要がある。 犯罪者のサイコパスは最近の映画では時々出てきます。 そういうのを見ている人なら、思い浮かべるのはそれほど難しくないかも知れません。 本来の日本人にはサイコパスは少ない。 統合者を思い浮かべるのは以外に難しい。 詳しい説明は後ほどする。 |