Mr.Flat の複数人格論(応用編)

一連の思考パタン、行動様式、こころの断片を「人格」と呼ぶことにします。
この用語はルーマンのそれを真似たもので、「この人は、人客者!」という場合の人格の意味とは違います。
高級な意味はない、単に機能的なつながりを言う。
単に、社会的にそう振る舞うことが都合良いので、そうなっているだけです。
これは、こいう場合にはこう、ああいう場合にはああ、とある意味ネットワークであり、1つのオートポイエーシスです。

浮気

統合してない人、私の言葉だとLPですが、まあ、そういう人は人格が複数存在する。
考えてみると当たり前でした。
複数人格が存在するので、それぞれの人格で別の異性を好きになるのはすこぶる自然。当然。必然。

そもそも、個人的には浮気なんか興味がない。
ですが、人の生き方として、その時は近くても、一緒だと思っていても、遠く目指すとことが違えば、その時は愛を誓ったとしても、徐々に心は離れていって、結局は分かれる運命に至るのは理解できる。
ここでいう「浮気」はそういうレベルのものじゃない。
同時に複数の異性と付き合ったりするわけだ。
女性のことは良く知らんが、男性のことは多少知っている。
良くあるパターンは、妻には家庭を守れるしっかりした女性を選び、浮気相手の一人には、自分の幼児性を引きずった可愛いタイプの女性を選ぶパターンだ。 前者はどちらかかとういと、頭で考えてのこと。 もっと成り上がろうと思っているならもっと政略的な判断をするかも知れない。 後者はもっとずっと感情的な選択だ。理屈を越えてその女性を可愛いと思う。 守りたいとも思うかも知れない。 それは演技ではなく、心底、そう思うかもしれませんが、その底は、数ある人格の1つの底だ。 なので、最後の最後2択に追い込まれたら、その女性を愛した人格を嘗て否定したように、その女性も無慈悲に捨てられることになる。そこで統合が起きれば別ですが、そうじゃなければこれは必然。
こういう人は人格は2つじゃないので、2人で収まることは少ない。

では、統合者にとって、配偶者以外の異性はどう見えるのだろうか?
答え:「素敵な人」と見える。
もう少し説明すると、素敵な人は素敵に見えると思う。
出会ったんだからまるっきり縁がない訳じゃないが、浮気とかそういう縁とは違う。
もっと説明すると、異性をそういう目でしか見ないように統合されている人は(って想像つきませんが)、最初からそういう目で見るかも。 そういう危ない人は、他人からもすぐに分かるので、そうそう近づくことはない。





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